こんばんは!お疲れ様です
皆さまお元気にお仕事してますか?
3s椛纒\の『橘』です。
今冬はさして大雪にもならず、ようやく気温も上がって、かすかに春の到来を
感じるこの頃ですが、昔からこういう季節にはつきものの言葉や歌が
ありますね
例えば、『冬来たりなば、春遠からじ』
とか。。イギリスの18〜19世紀の詩人シェリーの詩から出た言葉ですが
日本の寒い冬や受験シーズンということもあり、日本国内でもよく言われ
ますね。もともとは当時の英国の労働者弾圧に抵抗する革命詩だったらしいですが。
赤川次郎のノベルを映画化した時に創られた原田 知世の楽曲『早春物語』も
こんな季節のもどかしい心情を悲しく表現したワルツ形式の名曲で人(女の子)
の心が、いかに強く健気なものであるかが察せられます
しかしあまり思いすぎてもいい結果(合格や成功)が出ないことも多く、
あてもなくがむしゃらにつらい思いや努力をしていても、今度は逆に心が
折れて、ついには鬱状態になり何をする気も起きなくなったりすることもある
ので怖いですね
特に思春期のいたいけな少年少女は往々にして思い込んだら視野狭窄に陥り
一方向に突っ走ってしまうので、そういった一体系な(いたいけな)やり方を
踏襲(冬春)するのではなく、この際、春・成功を待ちわびる一途な思いだけで
なく、色々な実りのある意味の濃い秋のような弾力性のある考え、精神に切り替え
る・立ち返るという生き方もあるように思われます
とはいっても寒い陰気な冬は暖かい陽気な春を羨望するセツナイ気持ちにどうしても
囚われちゃいますよね、特にいたいけな少年少女は。。
2023年03月03日
いたいけな冬春
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2022年11月15日
桔梗(キキョウ)
こんばんは、皆様この頃いかがお過ごしでしょうか?3s椛纒\の橘です。
夏が過ぎ、秋になり、秋も晩秋に向かおうとしてますが、日本晴れの続くこの秋
に高速などを走っていますと、見事な紅葉などもまぶしく目に入ってきますね。
石川県ですっぽんの養殖が昔行われていて、それの野生化したすっぽんをうまく、
山川で捕まえて、高岡のすっぽん料理屋で調理してもらい、すっぽんの唐揚げ、
レバ刺し、生き血入り焼酎、すっぽん鍋などフルコースを知人と堪能してきました。
そのときに咲いていた桔梗の花が、相変わらず清々しく青紫の星形の花をつけ、
また風船のように蕾が可愛く膨らみ、なんとも懐かしい感情にさせられました
桔梗といえば、日本・中国・韓国が原産地で、3国にとっても伝統ある、権威ある
花であり、古くは秋の七草として万葉集など短歌や俳句に詠まれ、桔梗の木偏を
取ると『吉更』となり、『さらに吉』となることから好まれ、明智光秀や
柴田勝家、太田道灌、加藤清正などが家紋として桔梗紋を使用していました
先日、岐阜県にキムタクが織田信長を演じる『レジェンド&バタフライ』の
プロモーションも兼ねて『ぎふ信長まつり』に参加し、大衆はひと目見ようと
列をなして集まっていましたが、その時話題になったキムタクの木村家と
織田信長の織田家の家紋が同じ『木瓜紋』であるという事実にビックリさせられ、
爪を真横で輪切りにした模様が鳥の巣の卵に見えるなどの理由から子孫繁栄を
表す紋だということで、こちらも権威ある紋だと、感じ入りました。
翻って桔梗の花言葉には『永遠の愛』『変わらぬ愛』『誠実』とあり、
英語では『honesty(正直者)』、『the return of a friend is desaired
(友人の帰りを願う)』という意味もあり、それにまつわる戦国時代の悲しい
恋物語も伝説として残されていて、キムタクの信長と綾瀬はるかの濃姫顔負け
の『気品』『永遠』の美しさを包しています
韓国では桔梗はトラジとも呼ばれ、焼肉屋でも『トラジ』という名前の店がよく
見られ、キキョウの根っこをナムルにして食べたり、キムチと和え物のしたり、
最近の韓国料理ブームに乗って日本でも食べられるようになってきてます。
またコロナ対策の漢方薬としても桔梗成分は有効に使われてます
トラジを漢字で書くと『虎児』となるのだろう。なんだか虎の子のような
ある種奇矯(キキョウ)な掘り出し物のイメージですが、おっ捕まえたスッポン
を籠に入れ、富山県に帰って眺めていると、今後の人生の秋の季節をスッポン
のように奇矯ながらも丈夫で、粘り強く生きていきたいと願ったーーー。
というわけで皆様、思い込みや偏見を棄てて、生命力にあふれた桔梗(キキョウ)
の花を咲かせて育てていきましょう!
夏が過ぎ、秋になり、秋も晩秋に向かおうとしてますが、日本晴れの続くこの秋
に高速などを走っていますと、見事な紅葉などもまぶしく目に入ってきますね。
石川県ですっぽんの養殖が昔行われていて、それの野生化したすっぽんをうまく、
山川で捕まえて、高岡のすっぽん料理屋で調理してもらい、すっぽんの唐揚げ、
レバ刺し、生き血入り焼酎、すっぽん鍋などフルコースを知人と堪能してきました。
そのときに咲いていた桔梗の花が、相変わらず清々しく青紫の星形の花をつけ、
また風船のように蕾が可愛く膨らみ、なんとも懐かしい感情にさせられました
桔梗といえば、日本・中国・韓国が原産地で、3国にとっても伝統ある、権威ある
花であり、古くは秋の七草として万葉集など短歌や俳句に詠まれ、桔梗の木偏を
取ると『吉更』となり、『さらに吉』となることから好まれ、明智光秀や
柴田勝家、太田道灌、加藤清正などが家紋として桔梗紋を使用していました
先日、岐阜県にキムタクが織田信長を演じる『レジェンド&バタフライ』の
プロモーションも兼ねて『ぎふ信長まつり』に参加し、大衆はひと目見ようと
列をなして集まっていましたが、その時話題になったキムタクの木村家と
織田信長の織田家の家紋が同じ『木瓜紋』であるという事実にビックリさせられ、
爪を真横で輪切りにした模様が鳥の巣の卵に見えるなどの理由から子孫繁栄を
表す紋だということで、こちらも権威ある紋だと、感じ入りました。
翻って桔梗の花言葉には『永遠の愛』『変わらぬ愛』『誠実』とあり、
英語では『honesty(正直者)』、『the return of a friend is desaired
(友人の帰りを願う)』という意味もあり、それにまつわる戦国時代の悲しい
恋物語も伝説として残されていて、キムタクの信長と綾瀬はるかの濃姫顔負け
の『気品』『永遠』の美しさを包しています
韓国では桔梗はトラジとも呼ばれ、焼肉屋でも『トラジ』という名前の店がよく
見られ、キキョウの根っこをナムルにして食べたり、キムチと和え物のしたり、
最近の韓国料理ブームに乗って日本でも食べられるようになってきてます。
またコロナ対策の漢方薬としても桔梗成分は有効に使われてます
トラジを漢字で書くと『虎児』となるのだろう。なんだか虎の子のような
ある種奇矯(キキョウ)な掘り出し物のイメージですが、おっ捕まえたスッポン
を籠に入れ、富山県に帰って眺めていると、今後の人生の秋の季節をスッポン
のように奇矯ながらも丈夫で、粘り強く生きていきたいと願ったーーー。
というわけで皆様、思い込みや偏見を棄てて、生命力にあふれた桔梗(キキョウ)
の花を咲かせて育てていきましょう!
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2022年08月02日
クラフトワークの夏
こんにちは!毎日暑く夏も真っ盛りですが皆様お元気でお過ごし
でしょうか?
3s椛纒\の橘です
私は先日、京都の天の橋立に行ってきました。ひとしきり観光を
し、海水浴をしたまでは良かったのですが、夕食にあまのはしだてワイン
を飲みながら、ステーキを食べていると、思いがけず、固い肉が嚙み切れ
ず前歯を一本折ってしまいました。
実家(高岡)に帰り、すぐ歯医者に予約を取り、根から歯を抜いてもら
いましたが、止血し、麻酔が少し弱まってからも歯周辺のヒリヒリ、ジンジン
した感覚と共に夏の日の夕方をボーッと過ごしておりました
歯科医師の技術によってそれ以上過度に出血することもなく、明くる日
抜けた歯を眺めていると、ふと無性に電子音楽が聴きたくなりました。
早速、クラウトロックの祖、クラフトワークの1975・76年のパリ・
ロンドンでのライブCDをかけました。
朝とはいえ、太陽は昇り、障子戸からも日光がさんさんと差し込んで
きます。流麗なテクノ・ミュージックのSOUNDに心を委ねながら、遠くに
聞こえる蝉の音と音楽が一体化し、しばし幽玄境にいるような心持ちに
襲われます。
ひと夏で死んでしまう蝉たちの合唱は、夏の間の短期のクラフト・
ワーク(技術製造手仕事)をする派遣ワーカーたちの熱のこもった稼ぎっ
ぷりを連想させます。
フェアライトのような明るさと夏のカラーズが頭や耳に重なる瞬間
自分がどこかイビザ島やルーマニアのママイアにでも行ってレイヴで
踊っているようなループ感の中、そして最後の曲『アウトバーン』が
終わりました。
一つのギルドの終焉、そしてまた新たなギルドの興隆・衰亡ーーー
ツンフト闘争ではありませんが、クラフトワークのエレクトロな
ジャーマンサウンド、それに重なり遠く響く蝉の音から人の世の、
人生の儚さを、今夏偲んでおります。
でしょうか?
3s椛纒\の橘です
私は先日、京都の天の橋立に行ってきました。ひとしきり観光を
し、海水浴をしたまでは良かったのですが、夕食にあまのはしだてワイン
を飲みながら、ステーキを食べていると、思いがけず、固い肉が嚙み切れ
ず前歯を一本折ってしまいました。
実家(高岡)に帰り、すぐ歯医者に予約を取り、根から歯を抜いてもら
いましたが、止血し、麻酔が少し弱まってからも歯周辺のヒリヒリ、ジンジン
した感覚と共に夏の日の夕方をボーッと過ごしておりました
歯科医師の技術によってそれ以上過度に出血することもなく、明くる日
抜けた歯を眺めていると、ふと無性に電子音楽が聴きたくなりました。
早速、クラウトロックの祖、クラフトワークの1975・76年のパリ・
ロンドンでのライブCDをかけました。
朝とはいえ、太陽は昇り、障子戸からも日光がさんさんと差し込んで
きます。流麗なテクノ・ミュージックのSOUNDに心を委ねながら、遠くに
聞こえる蝉の音と音楽が一体化し、しばし幽玄境にいるような心持ちに
襲われます。
ひと夏で死んでしまう蝉たちの合唱は、夏の間の短期のクラフト・
ワーク(技術製造手仕事)をする派遣ワーカーたちの熱のこもった稼ぎっ
ぷりを連想させます。
フェアライトのような明るさと夏のカラーズが頭や耳に重なる瞬間
自分がどこかイビザ島やルーマニアのママイアにでも行ってレイヴで
踊っているようなループ感の中、そして最後の曲『アウトバーン』が
終わりました。
一つのギルドの終焉、そしてまた新たなギルドの興隆・衰亡ーーー
ツンフト闘争ではありませんが、クラフトワークのエレクトロな
ジャーマンサウンド、それに重なり遠く響く蝉の音から人の世の、
人生の儚さを、今夏偲んでおります。
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2022年04月17日
戦略と戦術の間
こんにちは、皆様お元気ですか?
3s且ミ長の「橘」です。
4月になって、やたら暑くなったかと思うと、また急に寒くなったり安定しない
不順な天候ですが、そういえばサッカーの日本代表がワールドカップ出場を決め
本大会の組み合わせ・グループ分けも決まりましたね。
予選の時のような、ある意味不安定な戦いぶりから察すると、本大会はどうなる
んだろうと想像すると、ドイツやスペインのような強豪を相手にどういう戦略・戦術
で伍していくのか
コロナ禍の渦中において世界の戦争面・戦争性ばかりが浮き彫りになる昨今ですが、
企業間の競争も激しさを増し。競争力を持たない中小零細企業は、このGAFAなど
超寡占企業が支配する世界において淘汰されて行かざるを得ない状況となっており
ます。
しかし、そういった中小零細企業でもしっかりした戦略と戦術を持っていれば
まだ芽はある--新しい芽吹きはあるのであり、良い方向に着々と駒を進めていく
ことは可能です
物事を筋道立てて考え「自社は何のために存在しているのか」、「そのために何を
やっていけばいいのか、何をやってはいけないのか」といった根源的な所を突き詰め、
自分の口調で、語彙で社員に戦略・戦術を語っていくことが肝要と考えます
その際にカギとなるのは、どこに力点を置くか、どこからどこまでの相対的な感覚・
時をイメージングするかがGAFAであれFIFAであれ一泡吹かせるような力となって、
自分たちに恵みをもたらす慈雨となっていくかもしれません
3s且ミ長の「橘」です。
4月になって、やたら暑くなったかと思うと、また急に寒くなったり安定しない
不順な天候ですが、そういえばサッカーの日本代表がワールドカップ出場を決め
本大会の組み合わせ・グループ分けも決まりましたね。
予選の時のような、ある意味不安定な戦いぶりから察すると、本大会はどうなる
んだろうと想像すると、ドイツやスペインのような強豪を相手にどういう戦略・戦術
で伍していくのか
コロナ禍の渦中において世界の戦争面・戦争性ばかりが浮き彫りになる昨今ですが、
企業間の競争も激しさを増し。競争力を持たない中小零細企業は、このGAFAなど
超寡占企業が支配する世界において淘汰されて行かざるを得ない状況となっており
ます。
しかし、そういった中小零細企業でもしっかりした戦略と戦術を持っていれば
まだ芽はある--新しい芽吹きはあるのであり、良い方向に着々と駒を進めていく
ことは可能です
物事を筋道立てて考え「自社は何のために存在しているのか」、「そのために何を
やっていけばいいのか、何をやってはいけないのか」といった根源的な所を突き詰め、
自分の口調で、語彙で社員に戦略・戦術を語っていくことが肝要と考えます
その際にカギとなるのは、どこに力点を置くか、どこからどこまでの相対的な感覚・
時をイメージングするかがGAFAであれFIFAであれ一泡吹かせるような力となって、
自分たちに恵みをもたらす慈雨となっていくかもしれません
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2021年12月24日
decorate for you(Dress You Up)
こんばんは、初雪も舞い降りて、寒くなってきましたが、皆様お元気でお仕事してますか?。
3s代表の「橘」です。
冬になり寒くなってくると、皆、装いを新たにして、コートなり、マフラーなりを羽織り
始めますがニューヨークでは最大の百貨店『Macy’s(メイシーズ)』で
セレブクイーン、マドンナさんと娘のローデスさんによる、往年の自身のヒット曲を
冠したファッションブランド『Material Girl(マテリアル・ガール』の販売が始まった
そうです。
同ブランドはファッション好きのローデスさんが提案するスタイルを、マドンナさんが
支援する形で実現。女子中高生をターゲットに、衣類、靴、ハンドバッグ、アクセサリー
などを12ドル〜40ドルの価格帯で販売する。80年代を感じさせるパンク風な要素
が入ったデザインとなっている、とのこと。
80年代といえば、日本では当時『バブル』という特殊な時代であり思い思いに着飾った
紳士淑女たちが東京ー日本中の街中を闊歩していた
マドンナのヒットアルバム『Like a virgin』の5thシングル『Dress You Up』でも
マドンナは
「私の愛であなたをドレスアップする
あなたの体中を
私の愛であなたをドレスアップする
頭からつま先までいたるところをね」
とThe80’s music的N.Yダンスビートに乗せて世界中のBOYに語りかけてますが、
You Tubeで彼曲のライブ映像を見ても、大阪のおばちゃんみたいな派手ハデしい装いの
マドンナがダンサーたちを従えて、クルクル踊りまわっていて、時代の活力・エネルギー
を十分に感じさせ世界中が世界中をある意味では禍々しくDecorateしているーそんな
時代だったのだと思います。
翻って極東の島国日本で1990年を皮切りにクラブDJを始めた私は、世話好きな
先輩DJの、「オマエをもっとカッコよくしてやる」という言葉に甘え、二束三文で
シャツや靴や、帽子を譲ってもらっていましたが、どうも肝心の性根が腐っていた
ようで,芽が出ないまま東京を去ることになりました。
今となっては遠い追憶ですが『Dress You Up』と同じナイル・ロジャースが
プロデュースしたシックの『おしゃれフリーク』やデュラン・デュランの『ザ・リフレックス』
のリミックスバージョンをクラブのハイライトの盛り上げ曲に使い、酩酊した頭で、
うつろな目で踊る客たちを見ていた私は、一体何を見据えていたのだろうかー
真実(truth)かーそれとも挑戦(dare)かー マドンナの映画のタイトルにもなったこの命題は以降
私を捉え、今現在も私ののど越しに匕首を突き付けてくる
地元に戻り、保守的な人たちとふれあう内、お金や因習という真実に心まで塗りかえら
れそうになるが、一輪の白い花を胸にさす議員のように私も全身を白く清浄にして、
大人や子供の彼岸を超えた、全身くまなく行き渡る愛に身をゆだねよう
外に降り積もる白雪、中のリビングで火照った体をあずけながら、新しい時代・年への
挑戦(dare)がchoo choo(ちゅるちゅる)と自分の中にしんから融出するのを、半ば勘違いしながら
待ち望んでいる今年のクリスマスです。
3s代表の「橘」です。
冬になり寒くなってくると、皆、装いを新たにして、コートなり、マフラーなりを羽織り
始めますがニューヨークでは最大の百貨店『Macy’s(メイシーズ)』で
セレブクイーン、マドンナさんと娘のローデスさんによる、往年の自身のヒット曲を
冠したファッションブランド『Material Girl(マテリアル・ガール』の販売が始まった
そうです。
同ブランドはファッション好きのローデスさんが提案するスタイルを、マドンナさんが
支援する形で実現。女子中高生をターゲットに、衣類、靴、ハンドバッグ、アクセサリー
などを12ドル〜40ドルの価格帯で販売する。80年代を感じさせるパンク風な要素
が入ったデザインとなっている、とのこと。
80年代といえば、日本では当時『バブル』という特殊な時代であり思い思いに着飾った
紳士淑女たちが東京ー日本中の街中を闊歩していた
マドンナのヒットアルバム『Like a virgin』の5thシングル『Dress You Up』でも
マドンナは
「私の愛であなたをドレスアップする
あなたの体中を
私の愛であなたをドレスアップする
頭からつま先までいたるところをね」
とThe80’s music的N.Yダンスビートに乗せて世界中のBOYに語りかけてますが、
You Tubeで彼曲のライブ映像を見ても、大阪のおばちゃんみたいな派手ハデしい装いの
マドンナがダンサーたちを従えて、クルクル踊りまわっていて、時代の活力・エネルギー
を十分に感じさせ世界中が世界中をある意味では禍々しくDecorateしているーそんな
時代だったのだと思います。
翻って極東の島国日本で1990年を皮切りにクラブDJを始めた私は、世話好きな
先輩DJの、「オマエをもっとカッコよくしてやる」という言葉に甘え、二束三文で
シャツや靴や、帽子を譲ってもらっていましたが、どうも肝心の性根が腐っていた
ようで,芽が出ないまま東京を去ることになりました。
今となっては遠い追憶ですが『Dress You Up』と同じナイル・ロジャースが
プロデュースしたシックの『おしゃれフリーク』やデュラン・デュランの『ザ・リフレックス』
のリミックスバージョンをクラブのハイライトの盛り上げ曲に使い、酩酊した頭で、
うつろな目で踊る客たちを見ていた私は、一体何を見据えていたのだろうかー
真実(truth)かーそれとも挑戦(dare)かー マドンナの映画のタイトルにもなったこの命題は以降
私を捉え、今現在も私ののど越しに匕首を突き付けてくる
地元に戻り、保守的な人たちとふれあう内、お金や因習という真実に心まで塗りかえら
れそうになるが、一輪の白い花を胸にさす議員のように私も全身を白く清浄にして、
大人や子供の彼岸を超えた、全身くまなく行き渡る愛に身をゆだねよう
外に降り積もる白雪、中のリビングで火照った体をあずけながら、新しい時代・年への
挑戦(dare)がchoo choo(ちゅるちゅる)と自分の中にしんから融出するのを、半ば勘違いしながら
待ち望んでいる今年のクリスマスです。
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2021年09月20日
One day 〜夕闇のコンシュルジュ〜
こんにちは、3s代表の橘です
もう秋ですね。よく晴れた青空を見ていると何とも澄み切った気持ちになり、こんな晴天が
ずっと続けばいいのにと思ってしまいますが、皆様おかわりありませんか?
このコロナの状況で帰郷に旅立った人を思えば、今は故郷でどうしているのか、数年前の
別れのシーンばかりが思われてきます。
約10年前の9月20日、富山きときと空港から旅立った、友達の知り合い(パキスタン人)
を見送るため4F展望台デッキに立った私は大きな夕陽に包まれていました。
知り合いがタラップを登っていくのが見えます。
赤く反射する夕焼けに心奪われながらももう数分で機上の人になろうとしているパキスタン人の
さっきまでのにこやかな笑顔を脳裏で反芻していました。
とうとう地上を離陸し、夕陽をバックに空へと上昇していく飛行機を見つめながら、私は
彼(パキスタン人)も今頃望郷の念に駆られていることだろうとジーンときていました。
しばらくジーンとしながら、(明日からもまたいつも通りの生活が始まるのだろう)
となんとなく思っていると、後ろから
「アテンション・プリーズ」
何か声が聞こえたような気がしました。気が付くと辺りは薄暮に包まれて、周りの人が
誰なのかさえよくわかりませんでした。
周りの人たちが出口らしきところに進んでいくのが見え、私もそれに従い歩いていくと
ある女性が薄暮の中からニッコリ微笑みかけてきました
たぶん空港の職員の女性なのでしょうか 「こちらです」
夕闇の中でもしっかりと見えるように案内してくれます。
気が付くと階段を下りてパーッと明るい開けた空間に出ました。途端にひんやりとした
涼しい気持ちに襲われました。
案内の女性の方は知らないうちに姿を消していました
さっきまでの薄暮の薄暗さと今の明るい空港正面の華やかさの対比(コントラスト)を
感じながら、今日という1日が終わっていくのを感じました。
One day= One fine day= One small day !
心でそうつぶやきながら、車でゆるゆると帰路に着きました
さっきまでの空港の女性の笑顔と振る舞いを想い出しながら…
もう秋ですね。よく晴れた青空を見ていると何とも澄み切った気持ちになり、こんな晴天が
ずっと続けばいいのにと思ってしまいますが、皆様おかわりありませんか?
このコロナの状況で帰郷に旅立った人を思えば、今は故郷でどうしているのか、数年前の
別れのシーンばかりが思われてきます。
約10年前の9月20日、富山きときと空港から旅立った、友達の知り合い(パキスタン人)
を見送るため4F展望台デッキに立った私は大きな夕陽に包まれていました。
知り合いがタラップを登っていくのが見えます。
赤く反射する夕焼けに心奪われながらももう数分で機上の人になろうとしているパキスタン人の
さっきまでのにこやかな笑顔を脳裏で反芻していました。
とうとう地上を離陸し、夕陽をバックに空へと上昇していく飛行機を見つめながら、私は
彼(パキスタン人)も今頃望郷の念に駆られていることだろうとジーンときていました。
しばらくジーンとしながら、(明日からもまたいつも通りの生活が始まるのだろう)
となんとなく思っていると、後ろから
「アテンション・プリーズ」
何か声が聞こえたような気がしました。気が付くと辺りは薄暮に包まれて、周りの人が
誰なのかさえよくわかりませんでした。
周りの人たちが出口らしきところに進んでいくのが見え、私もそれに従い歩いていくと
ある女性が薄暮の中からニッコリ微笑みかけてきました
たぶん空港の職員の女性なのでしょうか 「こちらです」
夕闇の中でもしっかりと見えるように案内してくれます。
気が付くと階段を下りてパーッと明るい開けた空間に出ました。途端にひんやりとした
涼しい気持ちに襲われました。
案内の女性の方は知らないうちに姿を消していました
さっきまでの薄暮の薄暗さと今の明るい空港正面の華やかさの対比(コントラスト)を
感じながら、今日という1日が終わっていくのを感じました。
One day= One fine day= One small day !
心でそうつぶやきながら、車でゆるゆると帰路に着きました
さっきまでの空港の女性の笑顔と振る舞いを想い出しながら…
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2021年06月13日
リターン・トゥー・フォーエバー 〜チック・コリアさんの思い出〜
こんにちは、皆様お元気ですか?暑くなってきましたねー!
3s且ミ長の橘です
夏が近づいてくると、湿気も高くなり、こんなときはJAZZ
のライブでも出かけてビール飲みながらスカッとしたいところですが、
そういえば先日JAZZ界のレジェンドがお亡くなりになられましたよね。
2月9日、79歳で世を去ったJAZZの巨人、チック・コリアさんです。
訃報に接すると、あれだけエネリギッシュに多作だった方でも、死んでしまえば
もう1枚もレコーデイング・制作できなくなるんだよなあと思うと生前のチック・コリア
さんの各時代の偉大な功績が偲ばれ、あらためて各時代のチックさんのCDを
聴きなおしています。
その中でも『リターン・トゥー・フォーエバー』はまさしくJAZZを超えて有史以来
全ての音楽・音源の中でも有数の傑作であり、若いころ『リターン・トゥー・フォーエバー』
を寝しなにかけてそのまま寝入り、オートリバースにしてあるので、朝起きたらそのまま
曲が耳に入り、さわやかな朝を迎え、快適な気分で通学・通勤にでかけたことも幾度
となくありました。
また私は実は生のチック・コリアさんに会ったことがあります。1985年か86年、季節は
春か夏か定かでは無いのですが富山市の某所(どこか、芝生のある運動公園の野外特設
ライブ会場で)当時のチック・コリア・エレクトリックバンドのライブが行われ、当時
高2か高3だった私は高校のクラスメイトに誘われ(そのクラスメイトの親戚にJAZZの
メチャ詳しい、自分でスタジオも持ってるお兄さんがいた)、クラスメイトのお母さんの
車で送ってもらい、高岡からライブを観にいったのです。
そのときの私はJAZZと云えばマイルス・デイビスや渡辺貞夫の1枚くらいしか聴いたこと
がなく、全くの門外漢だったわけですが、会場の盛り上がりや暑さも手伝って、どんどん
エレクトリックバンドの醸し出すSoundやGrooveに引き込まれていきました。
気がつくと会場が皆総立ちで、私も他の観客も自然に体が動き始め、汗だくになって踊って
おりました。
バンドの方もエキサイトしてきて、チック始めとしてバンド奏者もステージから芝生の方に
降りてきて、ノリノリで演奏し、会場が一つの熱いノリで一体化したと思ったその次の
瞬間、チックは踊っていた私の目の前まで分け入ってキーボードの鍵盤を叩きながら、
私の踊りを眺めていました。
私はただの一介の地方の高校生ですので、誰に恥じることもなく無心に踊っていたわけ
ですが、チックはさすがスーパースターらしく余裕シャクシャクながらなおかつ鬼のような
形相で、踊る私をこれみよがしに鍵盤叩きながらジッと凝視しました。瞬間私はチックと
目がバッチリ合って、胸がドキンとしましたが、萎縮することなく踊り続けていました
その瞬間チックは鬼のような形相を緩めて、確かにニッコリと笑みをもらして、また
ステージの方へ戻っていきました。
-------------------------------------------------------------
後年チックが観客や新人ミュージシャンをライブ中にステージに飛び入りさせたり
する演出を行っていたことは、上原ひろみさんの回想話などで知りましたが、それにしても
あれだけのスーパースターがわざわざ私の前に来て、眼光鋭く私を凝視していたこと----
あれは今考えても何だったのだろうと思います。
もしかして『お前もJAZZをやれ!』とでも言いたかったのか---
(しかし私はその後JAZZではなくR&Bやブルースフリークになっていくのですが--)
本人が亡くなられた今現在、真実を知ることはできませんが、私は今でもあの時の
チックの表情をはっきり脳裏に思い出すことができます。
ボーッとした性格の私はその意味も読み取る事無く、せっかくのチック・コリアさんの
発するメッセージ(みたいなもの)もフイにしてしまったのかもしれない
あれから30余年が過ぎ(人生52年間生きてきた私は)心の奥のどこかでこのことを
しまいこんでこれからも生きていくのでしょう。
3s且ミ長の橘です
夏が近づいてくると、湿気も高くなり、こんなときはJAZZ
のライブでも出かけてビール飲みながらスカッとしたいところですが、
そういえば先日JAZZ界のレジェンドがお亡くなりになられましたよね。
2月9日、79歳で世を去ったJAZZの巨人、チック・コリアさんです。
訃報に接すると、あれだけエネリギッシュに多作だった方でも、死んでしまえば
もう1枚もレコーデイング・制作できなくなるんだよなあと思うと生前のチック・コリア
さんの各時代の偉大な功績が偲ばれ、あらためて各時代のチックさんのCDを
聴きなおしています。
その中でも『リターン・トゥー・フォーエバー』はまさしくJAZZを超えて有史以来
全ての音楽・音源の中でも有数の傑作であり、若いころ『リターン・トゥー・フォーエバー』
を寝しなにかけてそのまま寝入り、オートリバースにしてあるので、朝起きたらそのまま
曲が耳に入り、さわやかな朝を迎え、快適な気分で通学・通勤にでかけたことも幾度
となくありました。
また私は実は生のチック・コリアさんに会ったことがあります。1985年か86年、季節は
春か夏か定かでは無いのですが富山市の某所(どこか、芝生のある運動公園の野外特設
ライブ会場で)当時のチック・コリア・エレクトリックバンドのライブが行われ、当時
高2か高3だった私は高校のクラスメイトに誘われ(そのクラスメイトの親戚にJAZZの
メチャ詳しい、自分でスタジオも持ってるお兄さんがいた)、クラスメイトのお母さんの
車で送ってもらい、高岡からライブを観にいったのです。
そのときの私はJAZZと云えばマイルス・デイビスや渡辺貞夫の1枚くらいしか聴いたこと
がなく、全くの門外漢だったわけですが、会場の盛り上がりや暑さも手伝って、どんどん
エレクトリックバンドの醸し出すSoundやGrooveに引き込まれていきました。
気がつくと会場が皆総立ちで、私も他の観客も自然に体が動き始め、汗だくになって踊って
おりました。
バンドの方もエキサイトしてきて、チック始めとしてバンド奏者もステージから芝生の方に
降りてきて、ノリノリで演奏し、会場が一つの熱いノリで一体化したと思ったその次の
瞬間、チックは踊っていた私の目の前まで分け入ってキーボードの鍵盤を叩きながら、
私の踊りを眺めていました。
私はただの一介の地方の高校生ですので、誰に恥じることもなく無心に踊っていたわけ
ですが、チックはさすがスーパースターらしく余裕シャクシャクながらなおかつ鬼のような
形相で、踊る私をこれみよがしに鍵盤叩きながらジッと凝視しました。瞬間私はチックと
目がバッチリ合って、胸がドキンとしましたが、萎縮することなく踊り続けていました
その瞬間チックは鬼のような形相を緩めて、確かにニッコリと笑みをもらして、また
ステージの方へ戻っていきました。
-------------------------------------------------------------
後年チックが観客や新人ミュージシャンをライブ中にステージに飛び入りさせたり
する演出を行っていたことは、上原ひろみさんの回想話などで知りましたが、それにしても
あれだけのスーパースターがわざわざ私の前に来て、眼光鋭く私を凝視していたこと----
あれは今考えても何だったのだろうと思います。
もしかして『お前もJAZZをやれ!』とでも言いたかったのか---
(しかし私はその後JAZZではなくR&Bやブルースフリークになっていくのですが--)
本人が亡くなられた今現在、真実を知ることはできませんが、私は今でもあの時の
チックの表情をはっきり脳裏に思い出すことができます。
ボーッとした性格の私はその意味も読み取る事無く、せっかくのチック・コリアさんの
発するメッセージ(みたいなもの)もフイにしてしまったのかもしれない
あれから30余年が過ぎ(人生52年間生きてきた私は)心の奥のどこかでこのことを
しまいこんでこれからも生きていくのでしょう。
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2021年02月24日
60年代青春文学の軌跡
こんにちは。3s代表の橘です。
ゲリラ的に降った豪雪もなんとか収まりはじめ、コロナも小康状態に向かいつつあります
が、皆様いかがお過ごしでしょうか?
何かが始まりそうな、いやまだ始まらないような、次の勃興期に向けひたすら雌伏してい
るようなそんな時期でもあります。
特に各企業は決算に向かい目標売上・利益達成または未達成など来期に向けても色々と
構想を練り議論も尽きないでしょう。
そういう端境期に私は昔懐かしい3冊の小説を文庫で読みました。
1959年発表の大江健三郎『われらの時代』、1964年発表、柴田 翔『されど われらが
日々ー』、そして1969年発表の庄司 薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』です。いずれも
当時の青春文学のベストセラーで60年代70年代安保闘争などとも時代も重なり、重くも
軽くも当時の世相を反映しています。
3人の作者とも東京大学で学んだインテリで3人3様の文体で物語に引き込み、独特の虚無
感を感じさせます。
人生とは何だろう?時代の流れに翻弄され、頭で考えたようには現実は進まず、苛立ちは
募るばかりー
いつの時も若い人(学生)は悩み、生き、時には死に、まるでそれに無感覚・無自覚で
ある人間ほどだらだらと生きていけるー悲しいくらい冷徹な青春の実相が残酷に語ら
れるかと思えば、ちょっとおどけたモラトリアム・ユーモアが微笑ましくもある。
これはある意味現代の企業文化にも通底するトーンであり、経営政策が手詰まりになり、
のんきな人でも哀しい人でも皆自分の無力感・不完全感を感じ、達成感を味わうこと
なく年を重ねる。
このような状況にコロナが追い撃ちをかけ今後日本企業・社会はどうなるのだろう?
社会保障もそうですが、皆が幸福になるためにその中でも特に若い人の、理屈ではなく
感性からなんらかの素敵な社会システムが生まれ出来てこないだろうか?
60年代青春文学を読みながらそんなことを想ってしまった次第です。
ゲリラ的に降った豪雪もなんとか収まりはじめ、コロナも小康状態に向かいつつあります
が、皆様いかがお過ごしでしょうか?
何かが始まりそうな、いやまだ始まらないような、次の勃興期に向けひたすら雌伏してい
るようなそんな時期でもあります。
特に各企業は決算に向かい目標売上・利益達成または未達成など来期に向けても色々と
構想を練り議論も尽きないでしょう。
そういう端境期に私は昔懐かしい3冊の小説を文庫で読みました。
1959年発表の大江健三郎『われらの時代』、1964年発表、柴田 翔『されど われらが
日々ー』、そして1969年発表の庄司 薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』です。いずれも
当時の青春文学のベストセラーで60年代70年代安保闘争などとも時代も重なり、重くも
軽くも当時の世相を反映しています。
3人の作者とも東京大学で学んだインテリで3人3様の文体で物語に引き込み、独特の虚無
感を感じさせます。
人生とは何だろう?時代の流れに翻弄され、頭で考えたようには現実は進まず、苛立ちは
募るばかりー
いつの時も若い人(学生)は悩み、生き、時には死に、まるでそれに無感覚・無自覚で
ある人間ほどだらだらと生きていけるー悲しいくらい冷徹な青春の実相が残酷に語ら
れるかと思えば、ちょっとおどけたモラトリアム・ユーモアが微笑ましくもある。
これはある意味現代の企業文化にも通底するトーンであり、経営政策が手詰まりになり、
のんきな人でも哀しい人でも皆自分の無力感・不完全感を感じ、達成感を味わうこと
なく年を重ねる。
このような状況にコロナが追い撃ちをかけ今後日本企業・社会はどうなるのだろう?
社会保障もそうですが、皆が幸福になるためにその中でも特に若い人の、理屈ではなく
感性からなんらかの素敵な社会システムが生まれ出来てこないだろうか?
60年代青春文学を読みながらそんなことを想ってしまった次第です。
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2020年11月26日
テニプリと柳さん
こんにちは! VERY VERY お久しぶりです。
3s代表の橘です
秋も深まり、外の自然や風景も容貌を変化させていってますが、BLOG 「Blue Garden」
も新装開店です。
どうぞ皆様のお引き立て賜りたく存じます。
さて最近の私は、夏頃から高岡市内某所で週1程度で硬式テニスをしております。
健康増進も目的の一つですが、春頃コロナ禍で急に時間があいたところに、
少年ジャンプで連載されていた「テニスの王子様」をamazonで全巻買って、
家でそぞろ読みしているうちに、テニプリに感化(感染?)され、遅まきながら
ラケットを握った次第です。
始めたのが真夏ということもあり、最初はあまりのハードさに卒倒してしまい
ましたが、やっと普通にサーブやラリーを打てるようになってきました。
もちろんテニプリに出てくるような人間離れした技は、したくてもできようが
ありませんので、せいぜい年相応に力を込めて球を追いかけています。
ただし普通のジョギングとかより、球使うスポーツというのはやはり数倍
面白く楽しく、最近ではWOWOWでテニス中継を見て世界のトップ選手のプレーを
見て少しでも自分もそれに近いプレーができないか小さい秘かな野望(?)を
抱いたりしています。
WOWOWといえば、2011年以前の試合も放映されることが多く、今は懐かしい
柳 恵詩郎さんのテニス解説も楽しみの一つです。
選手時代の柳さんは私はよく知らないのですが、小柄ながらガッツあふれるプレー
で相手選手の強さを封じ込めていたとか。
何か解説にもそのお姿を想わせるような独特の表現力がありますね。
テニプリもそうだけど、逆転の発想で、自己流であっても相手の隙をつく所に
面白さがある------主観(自分で観る、考える)が小が大に勝つ最初の一歩になる
かもしれない-----昨今の閉塞した日本の政治状況・経済状況などもそういう
ひょうひょうとした視点から見ると何か打開策、妙案が浮かぶかも。
もちろんそのためには自分のこれは、といった特技を持つことも絶対的に必要だけど。
柳さんの解説を楽しみつつ、明日もまた私は仕事(ビジネス)をし、ラケットを握ります。
3s代表の橘です
秋も深まり、外の自然や風景も容貌を変化させていってますが、BLOG 「Blue Garden」
も新装開店です。
どうぞ皆様のお引き立て賜りたく存じます。
さて最近の私は、夏頃から高岡市内某所で週1程度で硬式テニスをしております。
健康増進も目的の一つですが、春頃コロナ禍で急に時間があいたところに、
少年ジャンプで連載されていた「テニスの王子様」をamazonで全巻買って、
家でそぞろ読みしているうちに、テニプリに感化(感染?)され、遅まきながら
ラケットを握った次第です。
始めたのが真夏ということもあり、最初はあまりのハードさに卒倒してしまい
ましたが、やっと普通にサーブやラリーを打てるようになってきました。
もちろんテニプリに出てくるような人間離れした技は、したくてもできようが
ありませんので、せいぜい年相応に力を込めて球を追いかけています。
ただし普通のジョギングとかより、球使うスポーツというのはやはり数倍
面白く楽しく、最近ではWOWOWでテニス中継を見て世界のトップ選手のプレーを
見て少しでも自分もそれに近いプレーができないか小さい秘かな野望(?)を
抱いたりしています。
WOWOWといえば、2011年以前の試合も放映されることが多く、今は懐かしい
柳 恵詩郎さんのテニス解説も楽しみの一つです。
選手時代の柳さんは私はよく知らないのですが、小柄ながらガッツあふれるプレー
で相手選手の強さを封じ込めていたとか。
何か解説にもそのお姿を想わせるような独特の表現力がありますね。
テニプリもそうだけど、逆転の発想で、自己流であっても相手の隙をつく所に
面白さがある------主観(自分で観る、考える)が小が大に勝つ最初の一歩になる
かもしれない-----昨今の閉塞した日本の政治状況・経済状況などもそういう
ひょうひょうとした視点から見ると何か打開策、妙案が浮かぶかも。
もちろんそのためには自分のこれは、といった特技を持つことも絶対的に必要だけど。
柳さんの解説を楽しみつつ、明日もまた私は仕事(ビジネス)をし、ラケットを握ります。
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posted by 3s at 16:51
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| 青い熊の心情
2009年12月16日
what’s tira-mi-su?
こんばんは、寒い中お互いにお疲れ様です。
3S代表の「橘」です。
年の瀬も押し詰り、何とかかんとか新しい年に押し流されていきそうですが、それにつけても今年は色々なことがありました。
悲しい事、大変な事、びっくりした事など、自他共々、世の中動いてるなぁー。「万物流転」をビリビリ実感します。
そんな中、つきあいで購入する、X’masケーキやワインを実家に持ち帰り、お茶の間で家族や従兄弟と共に口にすると、何とも忘れ得ぬ連想へ心が翔び、あれは何年前、プチバブルともいう様相を呈していた当時の情感、未だ小さき若輩の「私」が想い起されます。
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posted by 3s at 19:51
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