2008年06月22日

紫陽花公園にて

こんばんは、3S代表の「橘」です。皆様、雨や暑さや天変地異をしのいで何とかやっていますか?とうとう北陸地方も例年より遅れて梅雨入りをしまして、これから蒸し暑さとじとじとの雨と両方と戦っていかなくてはいけませんが、こんなときこそ心がへばったら休養をちゃんと取って、粘り強く物事に対応して、雨でぬかるんだ道をギュッと踏みしめ、生の辛さ実感を噛みしめて、しっかりと生きていきましょう。

特にこの季節、傷ついた我々の心をある意味逆撫でするほど目にも鮮やかに、彼の花がそこかしこに咲き誇る時期であります。薔薇とは又、違った意味で紫陽花には目も心も奪い込んでしまう様な強い力・華が有り、それは若く真っ直ぐで純粋な心には、時には毒とも言える、冷たく妖しい美を放っています。


子供の頃、雨中の少年野球の際、ロストボールを探した公園やグラウンド、お寺の外れ、そこにはいつも紫陽花が、雨に花弁をそぼ濡らしながら静かに咲いていて、良く見ると雨蛙や蝸牛がピッタリと花弁や茎にくっついていたり、花弁が薄い空気に触れ、ゆっくりと収縮を繰り返していたり、又、根の部分では、するすると、割と大きな蛇が花と花の間を移行中であったり―――
何かに打たれた様に、時間が止まった様にそれを凝視して、いつまでも佇んでいたものでした。
「おーい、何やってんだ!」仲間の呼ぶ声にふと我に帰り、チームや遊びの輪に戻り、家に帰って風呂に入りバスタオルで髪をぬぐった後も、さっきまでの雨の匂いや情景が頭をよぎって離れず、ボーっとしたり、胸騒ぎがしたりしていました。
しかしその頃は、その後すぐ期末テストがあって、プール開きがあって、夏休みに入り、今度は真夏の向日葵に目を奪われ、いつの間にか紫陽花の事を忘れてしまっていた様に思います。


―――6月、梅雨というのは、何かが起こる――意識のどこかで17歳を過ぎるくらいから、そう思うようになった、様な気がしています。
春でも無く夏でも無く、ただ静かにそぼ降る雨のイメージに細かく心を彩られた時期――心にポッカリ空いたくぼみの部分にスイッチが入り、現実とは異なる静かな空間に沈潜していく――そしてそれを助長する様な環境――人の心。考えや心持ちが知らず知らずの内に移行して、友達や女の子と会っても、それぞれが妙に以前と姿形が違って見えたり、皆が紫陽花の花弁や色のように、何気に変化して行ってる様に見えたり―――。


世の中の全てが心ばかりでなく形まで移り変わるとき――どうせだったら「極地」――幾百も色づいた紫陽花の咲き乱れる公園で、雨に打たれて、濡れて冷たい身体のまま女優の様に、1人立ちつくそう――そういった絶対的主観の泡滝の中から――今度は紫陽花の妖気にも触発され、熱い気持ちがふつふつと湯気を立てて生まれ沸いて来る様な気がする。


その主観=客観となった、それを根本とした「私」が、「他者」や「外界」の変化を感じたり、認識しつつ、且つ「私」も変化しつつ、させつつ生きていく――そうやって1つの季節も社会も人々も融合したり、分裂したり、相反したりしながら、次の季節(ステージ)に向かっていく――大まかに言えば世の中その繰り返しだと思う。


ただ目や胸にやけに染み入る、6月の紫陽花の深い青さが「私」の心を普通より強く抉り、苦しませるだけなのだろう。

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counter: | posted by 3s at 04:40 | TrackBack(0) | 青い熊の心情
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